アンニョンハセヨ、キムチ王子です。
12月にに入り、夜は冬らしく寒くなりましたね。
この季節になると、私はいつも子供の時の冬の風物詩を思い出します。
それは、母が11月から12月にかけて大量のキムチを漬ける김장(キムジャン)の風景です。
今は母が年老いて実家でのキムジャンはもう思い出だけになりましたが、家族のためにバリバリ働いていた母の姿とそのお味は一生忘れらないと思います。
今日はキム家のキムジャンの話をさせていただきます。
キムジャンは、大体12月から春野菜が出始める3月までの7人家族が一日3食食べる分のキムチを漬けるのでその量はキムチ工場のような物でした。
ほとんどの作業は母が行っていましたが、キムジャンの季節になると、母の指揮の下で家族みんなそれぞれの仕事をしました。
私の父は7人兄弟の長男で、キムジャンの時期には遠くに住む叔父や叔母の家族も手伝いに来ていました。
まさに、冬の最大の行事だったのです。
キムジャンはただ野菜を漬けるだけではありません。
大量の塩を前年または夏に購入し、にがりと水分が抜けて美味しくなったものを使用します。
それから地元で獲れたイワシを大量に使い、イワシの塩辛を作ることもキムチづくりの肝と言える仕事です。
キムチの材料の白菜や大根、唐辛子やニンニクまで種まきから始め、収穫するまですべてに気を配り、心を込めて栽培しました。
長年料理人として働いてきましたが、あれほどの量を、適切な設備もない中で作っていた母のことを思うと、ただ驚くばかりです。
母は白菜キムチだけでなく、トンチミ、大根キムチ、そして初夏まで保存できる塩辛いキムチも作っていました。その種類と量は、今では想像もつかないほどです。
キムジャンは単なるキムチを作る以上のもので、家族の絆を深め、伝統を次世代に伝える大切な行事でした。
今、その思い出を振り返るたびに、温かい家族の絆と、母の愛情を感じることができます。
そして、自分もその伝統を大切に受け継ぎ、将来の世代にも伝えていきたいと思います。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
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